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山行記録

~公開山行や個人山行の記録~

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松戸山の会

山行記録

 黒部川・下の廊下 


 山名
下の廊下
 山行日
2010年10月15日-16日   
 人数
2人
 コース
10月15日(金)扇平=黒部ダム−十字峡−阿曾原小屋10月16日(土)阿曾原小屋−欅平=宇奈月駅
 費用
一人当たりの費用=46,610円/2人=23,305円
 
TAG:北ア,縦走(小屋),黒部川,下の廊下
 
コースmap
下の廊下 登山コース

 

 コース詳細

14日(木)

自宅23:30=首都高速=中央道=上信越道=豊科IC=大町温泉郷(回送業者)4:00

(※走行距離:300km)、(※回送距離:扇沢=宇奈月117km)

15日(金)

大町温泉郷6:00=扇沢6:30/7:30=黒部ダム7:45〜黒部ダム下8:04/8:11〜内蔵助谷出合8:59〜新越沢合流点10:21〜黒部別山谷出合11:15〜白竜峡看板11:56〜十字峡12:50/13:25〜S字峡14:24〜黒四地下発電所送電線出口14:50〜東谷吊橋15:00〜仙人ダム15:22〜権現峠16:04〜阿曽原温泉小屋14:35

16日(土)

阿曽原温泉小屋4:55〜折尾谷出合6:50〜大太鼓7:42〜志合谷出合7:49〜蜆谷出合9:02〜鉄塔9:07〜欅平上部9:40〜欅平10:30/11:04=宇奈月12:23/3:00=黒部IC=北陸道=上信越道=関越道=三郷南IC=自宅21:00(※走行距離:450km)

 

 費用詳細

交通費 高速代=5,510円、ガソリン代=5,000円、回送代=20,000円、駐車場代=900円

宿泊費 阿曽原温泉小屋=7,600円

合計 46,610円

 

 10月15日(曇り時々小雨)

9月に入ってから阿曽原温泉小屋のホームページを覗くのが日課となっていた。何故ならば、いつのタイミングで下の廊下に出かけるかを判断するためのニュースが発信されているからだった。

ホームページによれば、関西電力が毎年実施している日電歩道(水平歩道)の整備が10月1日に完了したというので、すぐにでも出かけたいところだったが諸般の事情で中旬にずれ込んでしまう。下の廊下は、戦時中、日本電力?が電源開発のために欅平から黒部川左岸に沿って急傾斜のV字谷の岩壁を刳り貫いて造られたもので、丸太桟橋や丸太梯子が敷設された、人一人が何とか通れる狭隘な水平歩道(日電歩道)である。一方通行ではないので、すれ違いが極めて危険で厄介である。そこで危険を回避するためにウィークデーに核心部の黒部ダムから阿曽原温泉小屋へのルートを辿ることにした。

車を予約しておいた大町温泉郷の回送業者(扇沢⇒宇奈月間の回送代は20,000円)に預けたあと扇沢駅まで送ってもらう。トロリーバスの始発はハイシ−ズンより1時間も遅いので、日が暮れないうちに阿曽原小屋に到着すべく扇沢で準備万端整えてトロリーバスに乗り込む。扇沢駅の場内放送はしきりに室堂に行ってもガスで何も見えない旨の放送を繰り返し流していた。          

黒部ダムへはトロリーバス
黒部本流を右岸から左岸い渡る
黒部本流を右岸から左岸い渡る

トロリーバスを降りたらそのまま進行方向に進むと左壁の登山者通路の案内板に導かれるままに進むとガレ谷出口に飛び出した。

進行方向の北側には黒部三大岩壁の一つ、黒部別山大テガビンの荒々しい姿と丸山の頭が見えるが。西側は大観峰のロープウェイ駅舎辺りまでガスが垂れ込めていて今にも雨が落ちてきそうな気配だった。目の前に旧日電歩道の案内板があった。

ガレ谷出口より黒部ダム下200mの川床に向かってひたすら下る。相前後して同じトロリーバスに乗合わせた登山者約20人も先を競うように川床に向かう。15分ほどで川床に降り立ち本流に架かる木橋を渡って左岸に移り、高さ186m×幅492mの威容を誇る黒部ダムを見上げると、8時を回っているにも関わらず曇天と、轟音とともに落ちる毎秒10tonの観光放水と飛沫の影響で薄暗く煙っていた。

毎秒10トンを放水中の黒四ダムの威容
大崩壊地
大崩壊地

先を急がねばならないが、暫し佇み圧倒的に迫る高さ200mのコンクリートの砦に見入る。改めて大自然と対峙し叡智を駆使して造り上げた巨大構造物を目の当たりにして深い感慨を覚える。

いよいよ旧日電歩道が始まる。期待した紅葉は今一の感、標高が低いのと日照と猛暑のせいか?紅葉の見頃はまだ先のようだ。ダム下から歩き始めて15分程で落石注意の看板がある丸山の南面とおぼしき辺りの大崩落地を急いで通過する。これを過ぎると丸太桟道や丸太梯子そしてワイヤー手摺が現れる。

旧日電歩道を行く
丸太桟橋が現れる
丸太桟橋が現れる

約1時間で劔・立山への登山口の一つである明るく開けた内蔵助谷出合に達する。上方左手に雨に濡れて黒々とした岩肌を見せる黒部三大岩壁の一つで、黒部の巨人と謳われる丸山東壁が見える。

アンカーボルトに固定されたワイヤー手摺が現れる
内蔵助谷出合いと丸山東壁
内蔵助谷出合いと丸山東壁
奔流の黒部川
鳴沢子沢
鳴沢子沢

内蔵助谷出合で一本と思いつつ先を急ぎ、1時間半ほどで対岸に名瀑、新越の滝が黒部川に流れ落ちているのが望まれる地点に達する。岩肌の木々が紅葉していたらいかばかりかと想像する。

残雪があちこちに散見できるようになると、谷幅が徐々に狭まり圧迫感が増す。毎年最後まで開通を阻む黒部別山谷出合が近くなってきたようだ。雪害の影響が及ばない場所に水平歩道補修用丸太のデポジットがあった。

名瀑・新越の滝
要所に設けられた補修用丸太のテポジット
要所に設けられた補修用丸太のテポジット
屏風岩大ヘツリの始まり
足元は黒部川の激流
足元は黒部川の激流

屏風岩の大ヘツリが始まる、狭隘で脆弱な歩道はいやが上にも緊張感を増幅させる。時として岩壁が頭上を圧する、落ちたらアウトの世界だ。気を引き締め左サイドの番線とワイヤーの手摺でバランスを保ちつつ歩を進める。3年前に経験したドロミテのビアフェラータを思い出す。

 
左岸に深く抉られた水平道
左岸に深く抉られた水平道
辿ってきた水平道を振り返る
番線手摺が頼りの網の水平道
番線手摺が頼りの網の水平道

雪崩や崩落で途切れた水平道は、関西電力が掛け替えてくれた丸太桟橋や丸太梯子等でクリアーする。梯子段の間隔が大きいので踏ん張りが効かないのと握りが太くて掴みづらいこと等から動作が緩慢になる。また、毎年、関西電力が水平歩道を維持管理するのは大変な労力とお金がかかることを認識する。  

メンテナンス要員の方と話をする機会があったが、修理用丸太等の機材は人力で担ぎ上げるとのこと!…こんな難しい命がけの作業を・・・本当にご苦労様、感謝!感謝です!  

ものの見事にセッティングされた高捲き用丸太梯子
スリル満点の高捲き
スリル満点の高捲き

新越の滝より約50分で、V字谷を覆うスノーブロックの向こうに見えていた黒部別山谷出合にようやく達する。毎年、水平歩道の全面開通の鍵は、黒部別山谷出合の残雪の多少にかかっているようだ。

狭くてなだらかな谷であるが故に膨大な量の雪が堆積するのだろう。写真のように雪が消えてしまえば簡単に通過できるし良い休憩場所になるが、雪が残っているとスノーブロックやスノーブリッジの崩壊等で状況が日々変化し通過には困難がともなうことになる。安全を計るために都度状況に応じたルート工作を関電と阿曽原小屋の皆さんが行っているようだ。因みに今年の全面開通は10月6日であった。

弧を描いて設置されている高捲き用丸太梯子
黒部別山谷出合は、お助けロープと鉄筋ステップを頼りに左岸に移る
黒部別山谷出合は、お助けロープと鉄筋ステップを頼りに左岸に移る
黒部別山谷出合付近を振り返る
白竜峡への高捲き
白竜峡への高捲き

ここも先を急ぐため水飲み休憩のみで通過。正面左岸のお助けロープと埋め込まれた鉄筋ステップに導かれて頭上の水平歩道に立つ。直角に右折して暫く行き、更に高捲くと両岸がますます狭まり、轟音とともに流れが白く渦巻くゴルジュ帯に出た。約40分で下の廊下の核心部、白竜峡に入ったのだった。あちこちにぶつかって生まれた白濁の急流が躍動する様は文字通り白竜が踊るが如き景観だった。

白竜峡の急峻な岩壁に抉られた日電歩道、現在なら環境破壊で物議を醸すだろう
白濁の流れが奔流する白竜峡
白濁の流れが奔流する白竜峡
白竜峡右岸に流れ込むダル沢
黒部川の流れに吸い込まれそうな高捲き
黒部川の流れに吸い込まれそうな高捲き

暫らくこの場に留まりたいところだが時間に追われて先を急ぐことにする。今までに増してスリリングな高捲きとなる。丸太梯子がしなり心配になるが登るしかない。荷物が軽いからまだしも、重かったらさぞ大変なことだろう。

スリリングな丸太梯子登り、梯子がしなっていて心配だが登るしかない
飛沫を浴びて滝を横断
飛沫を浴びて滝を横断

やがて水平歩道は頭上を圧する岩壁から解放され樹木の中のなだらかな道へ入って行く。飛沫防止シートが掛けられた水流を横切ると30分で十字峡に到着した。黒部川めがけて左岸からは劔沢の激流が、対岸の右岸からは棒小屋沢が流れ交錯して込んでいた。毎秒何トンの水がこの一点に集まるのだろうか。  

鼓膜が破れんばかりの水音とコバルトブルーと白濁の流れが入り混じって流れる美しい光景に感動する。ここで今日初めて大休止をとりランチタイムとする。腹ごしらえも早々に日が暮れないうちにと出発準備を整えていると、突如陽光が顔を出し、測ったように十字の一点にスポットライトを浴びせた、いうまでもなくこの一瞬を捕らえようと夢中でシャッターを押した。

剱沢出合に架かる十字峡吊ばし
スポットライトに映える十字峡
スポットライトに映える十字峡

先程のような圧迫感から解放されて水平歩道を辿ること50分で半月峡と思しき辺りに達するとS字峡は近かった。S字形にうねるコバルトブルーの美しい流れが眼下にあった。目を下流に向けると黒四発電所の送電線出口のクリーム色の二つの特徴ある建屋が遠くに見えていた。

半月峡を眼下に望む
S字峡を眼下に望む
S字峡を眼下に望む

送電線出口を対岸の真正面に、手前に一号鉄塔を見ると間もなく、川幅が広くなったところに立派な東谷吊り橋があった。今まで来た左岸から右岸に渡る。巨大構造物のスノーシェルターを通り抜け出ると間もなく仙人ダムのエメラルドグリーンの湖面が見えた。S字峡から1時間のところだった。ここに至るまで阿曽原から登って来た人は二人のみで、想定通りすれ違いの混乱がなかったのは幸いだった。

黒四発電所送電線出口と一号鉄塔
東谷吊り橋を渡り右岸に
東谷吊り橋を渡り右岸に

仙人ダムは欅平にある黒三発電所で発電を行うために戦時中に建設された重力式ダム。これに先立ち資材運搬用のトンネルが建設されたが、摂氏165℃にも及ぶ言語に絶する過酷な労働環境のなかで人海戦術によって掘削された。吉村昭氏が著した「高熱隧道」によれば落盤、墜落、泡雪崩、暴発事故で300名もの犠牲者を出した。また、驚くなかれ、当初は5km上流の十字峡付近に設けることが計画されていたというが、幸いなことにこの一帯が昭和9年に中部山岳国立公園に指定されたために免れた。

仙人ダ
橋梁上の仙人谷駅と導水管
橋梁上の仙人谷駅と導水管

ダムの上を通り再び右岸から左岸に渡る。左岸にある仙人ダム管理所のドアーを開けて中に入ると関電人見寮に至る見取り図があった。要所にある案内板や矢印に従って入り組んだトンネル通路を進む。途中、先程ダム上から見えていた関電黒部専用鉄道の仙人橋上の仙人駅を通過するが、トンネル内は温泉の匂いとともにサウナのように蒸し暑く、高熱隧道の一端を知るところとなった。

仙人ダムより雲切の滝(3段125m)
橋上の仙人谷駅、この付近に来ると異様に蒸し暑くなり、高熱隧道の一端を知ることができる
橋上の仙人谷駅、この付近に来ると異様に蒸し暑くなり、高熱隧道の一端を知ることができる
登山者通路
マットが敷かれた関電人見稜前の登山者道路
マットが敷かれた関電人見稜前の登山者道路

人見寮は電力供給のため、日夜活動する職員と作業員のための宿舎である。ローテーションはあるにしてもこの人里離れた山間僻地で仕事をするにはそれなりの覚悟が必要と思う。

一登りすると30分で権現峠に着く、小岩が転がる狭い権現トンネルを抜けると阿曽原温泉小屋への下りとなったが、小屋までの30分がやけにきつく久し振りに足が棒になった。黒四からの緩い下り一方だから楽かと思いきや、時間との競争と写真撮影で殆んど休憩なしで来たことと、加えて寝不足のせいか小屋の緑青色の屋根が眼下に見えた時はほっとした。秋の峡谷の早い夕暮れがそこまで迫っていた。

阿曽原温泉小屋の黄緑色の屋根
毎年組立、解体するプレハブの阿曽原温泉小屋
毎年組立、解体するプレハブの阿曽原温泉小屋

阿曽原温泉小屋の建っているコンクリートの基礎の上には、かつて高熱隧道の掘削工事に使われた6階建ての宿舎が建っていたらしい、この宿舎は昭和15年1月9日14時頃に発生した泡(ホウ)雪崩によって4〜6階の木造建物が消失、26名の死者と37名の重軽傷者を出した。泡雪崩の破壊力は凄さまじいもので、爆風で?の巨木約300本が鋭い刃物で切られたように剪断されたという。現存の小屋は周知の通り雪害の難から身を守るため毎年7月のシーズン到来とともに組み立て、シーズンが終わる10月末に解体している。小屋主の佐々木泉さんは元富山県警の山岳警備隊の隊員で、時としてテレビにも登場する宇奈月の名士です。ハキハキした言動と体駆から頼りになる豪放磊落な人柄の印象。

トイレと水場を備えた阿曽原のキャンプサイト
にぎわう阿曽原温泉
にぎわう阿曽原温泉

宿泊の手続きを早々に済ませ、小屋主に急かされるまま男子の入浴刻限が迫っているこの小屋の目玉である露天風呂に向かう。途中には30張りは可能と思われる広くて平らなキャンプサイトがあった。 

重い足を引きずって10分程下ると平らな広場の向こうに写真でお馴染みの露天風呂があった。コンクリート製の浴槽はイモ洗い状態で、各々が缶ビールを片手に実に賑やかで楽しそうに振舞っていた。  

脱衣場代わりの木の簀の子は満杯だったので、脱いだものは木の枝に掛けて入浴。風呂場の山側にあるブルーシートで覆われた湯気の出ているトンネルは、苛烈を極めた高熱隧道の入口だったのか?風呂から上って小屋に向かって登って行くと待機していた女性群が下りてきた。既に夕闇が迫っていた。

食事所が狭いので18時30分からの最終組で食事をいただく、名物のカレーはさすがに美味しく、「お代わりどうぞ」の声に誘われるままにお皿を差し出す。

予想した通り今晩の宿泊客は定員の約50名で、布団一枚/人で寝られることになった。暑くも寒くもない丁度良い気温なので布団をすっぽり被って熟睡することができた。ありがたや!

 10月16日(晴れ)

ハイシーズンには、欅平発のトロッコ電車に10時台に乗らないと個人客は午後まで待たされるとの情報を得ていたので、朝食は弁当にしてもらい夜の明けない5時前にヘッドランプを点けて阿曽原温泉小屋を後にする。小屋から少し高度を稼ぐと再び水平歩道が始まる。落差100mを水量豊かに落ちる折尾の大滝を過ぎると、約2時間で折尾谷に至る。流れの中に造られた砂防堰堤のトンネルを渡る。

折尾の大滝
折尾谷出合の砂防堰堤と歩道トンネル
折尾谷出合の砂防堰堤と歩道トンネル
奥鐘山と黒部の怪人の異名を持つ西壁
大太鼓附近の垂直の岩壁にコの字形に掘削された水平道路
大太鼓附近の垂直の岩壁にコの字形に掘削された水平道路

今日も延々と続く狭隘な水平歩道を辿るが昨日ほどの緊張感はない。それは谷幅が広がって圧迫感がないことと足下の樹木がブラインドになっていてそれほど高度感がないからだ。

歩くほどに黒部川の流れが遥か下になってくると、約50分でいよいよ本日の核心部である大太鼓に至る。黒部川の川床まで250mもある下の廊下随一の高度感と、コの字形の開鑿歩道が顕著に刻まれ、頭上の岩庇が3〜4mもオーバーハングしている野趣溢れる場所である。加えて、私自身は攀じる機会を逸したが、黒部三大岩壁の一つで黒部の怪人の異名を持つ、日本最大級の高距800mの奥鐘山西壁のビューポイントでもある。大太鼓の通過は自然に身体が壁側に寄りワイヤー手摺を握る手に力が入る。  

いかなる工法で日電歩道を開鑿したのか…発破と人力掘削に依るものだろう・・・想像力を膨らませる。

大太鼓附近のオーバーハングの水平道
黒部川の河床から一気にせり上がる日本最大級800mの高距を誇る奥鐘山西壁
黒部川の河床から一気にせり上がる日本最大級800mの高距を誇る奥鐘山西壁

志合谷は谷の裏側を貫通する約150mもある素掘りのトンネルを通過する。狭い漆黒の空間を進むとヘッドランプに照らされた壁面がキラキラと銀色に輝いていた。状況からして戦時中に造られたものだろう。現代のような最先端技術のシールド工法など望むべくも無かった時代、このトンネルの近辺を基点に人海戦術によって危険を承知で水路・軌道隧道の掘削を進めたのだろう。

志合谷出合へのアプローチ
志合谷の裏側に掘削されたトンネルの入口
志合谷の裏側に掘削されたトンネルの入口
 
トンネル出口から志合谷を望む
トンネル出口から志合谷を望む

昭和11年9月から国家総動員法のもと、欅平〜仙人ダム間に水路・軌道トンネルを延ばす工事が始まったが、戦争遂行の原動力である電力の調達はまったなしの状況から通期・昼夜兼行の工事を余儀なくされ、無謀にも志合谷出合付近に宿舎を建設して冬季工事を敢行した。しかし、二冬目の昭和13年12月27日午前3時30分頃、雪崩が爆風を起す泡雪崩が発生し就寝中の84名の作業員を巻き添えにして4階建ての宿舎が破壊されたのである。考えられないことだが、時速3600km/hに達した?といわれる爆風により、1階の鉄筋コンクリート部分を残し3・4階の木造部分は建物と人間が一山越えて対岸の奥鐘山西壁まで600mも吹き飛ばされたという。結局47名は行方不明となった。

周囲を見渡すも、この付近に宿舎を建てるようなスペースも緩傾斜地も見出せない、そんな大惨事が起こった場所とは信じ難く不思議な感じを覚える。前述したが、その後阿曽原でも同様の泡雪崩が発生して再び多大な犠牲を被るも、1936年9月に始まった工事は1940年9に隧道が貫通して、さしもの難工事も終了した。そして同年11月には欅平の黒部川第3発電所が発電を開始したのである。

硯岩トンネルを通過
送電線鉄塔
送電線鉄塔

硯谷から送電線鉄塔を過ぎて欅平が近くなってくると、駅のアナウンスやトロッコ電車の汽笛などが聞こえてきた。欅平上部に達すると、いよいよ最後の下りにかかる。一番電車で到着した登山者が次々に登ってきた。何故かこの下りは堪える、行き違いに時間を要しものの300m足らずの下りに悪戦苦闘、ほうほうの体で欅平に辿り着いた。しかし、急いで下りて来たのにトロッコ電車は通常運転だった!

紅葉が遅れているためか、トロッコ電車は1輌貸切り状態となり快晴の下、誰はばかることなく移り行く両岸の景色を楽しむ。宇奈月駅前の最高所にある駐車場に我が愛車が契約通りに回送されていた。 

欅平駅前広場
 
 
宇奈月駅前広場
宇奈月駅前広場

紅葉の期待は裏切られたが、国内屈指のV字峡谷のダイナミックな流れを眼下にして水平歩道を辿ることにより、このルートを維持する労苦と拓いた先人達の労苦を肌で感じ取れたのは有意義だった。  

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 K.M 記

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