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山行記録

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松戸山の会

山行記録

 ボランティア活動:支援隊報告 


日 時 2011年11月05日(土)〜06日(日) 前夜発バス利用
行 先 1日目:石巻:牡鹿半島 十八成浜(クグリナハマ)の田圃瓦礫撤去
  2日目:水沼山〜上品山ハイキングとイベント参加
参加者 6名+県連28=34名

≪行程≫

04日(金) 20:00バスで集合出発、途中東北道(菅生PA)仮眠 泊
05日(土) 5:30出発=牡鹿半島:鮎川港手前十八成浜田圃にて瓦礫撤去:終了後、
牡鹿交流センタ−(ほっとまる)入浴=鮎川港=女川港=大川小学校跡見学=
水沼交流センタ−(大阪、神奈川、千葉、宮城県連)合流レセプション参加 泊
06日(日) 7:30出発−水沼山−上品山−イベント会場11:30着:参加。
トン汁、おにぎりその他で昼食を摂り 後帰松

≪費用≫

バス代:7,000円、食費:今回は夕、朝、昼共宮城県連のお世話になる。

 

 参加者感想

前夜発のマイクロバスで出発するが、一度経験してましたので、あまり不安なく参加出来ました。

石巻地区ボランティア
石巻地区ボランティア

翌朝、石巻市の牡鹿半島十八浜の田圃の作業でした。とても景色の良い所でしたが、これが田圃?と思える程アシが背高く伸びていて、その中に漁網や瓦礫が砂に埋もれていて、それを前日からの大阪府連、神奈川県連に千葉県連が加わり、合同の作業でしたのであっと云う間に大きな瓦礫の山が出来ました。「三本の矢」ではありませんが、みんなの力の結集は大きいな!と思い知らされました。

そこにボランティアバスや自家用車等で若者もぞくぞくと加わり、終了までにはほとんど片附いてしまいました。

その夜は宮城県連のご厚意で交流会を設けて頂きました。そこで被災者の方のお話の中で、(全国の遠くからのボランティアが来てくださり、皆様の生気を頂いた!!)との事。

瓦礫の残る十八成(くぐなり)浜
新しくできた大川小学校の鎮魂碑
新しくできた大川小学校の鎮魂碑

そのお話を聞いて、自分自身の事ですが、ただ、お役に立ちたい一心でしたが(肉体的な)、被災者の方々の精神的な部分にも役立ったのか!!と新しい発見でした。逆にこちらの方が生気を頂きました。

今回は宮城県連で交流会、翌日は登山等、開催してくれたので、恐縮するやら暖かさを感じました。

まだまだこれからも継続して行かなければ!!とかんじました。この度は同行のK原夫妻はじめ、メンバーの方々有難うございました。

 T.A記


その脇の子まもり地蔵
その脇の子まもり地蔵

6月に目にした被災地の様子と今回では瓦礫の撤去が進んでいるものの、手付かずの所がまだまだ残っています。

ほんの小さな所の撤去作業でしたが、漁網がからまって地中に埋もれているのを掘り起し、初めて顔を合わせた方々とカケ声を合わせて引っ張り出し、いい汗をかき、充実した一日でした。これからも機会をみつけて協力したいと思います。

 N.K 記

 

 

 

 

 


石巻歌集の指導ほ風景
石巻歌集の指導ほ風景

三回目のブランティアですが、瓦礫の大きい物は撤去され、たんぼの中の石だの小さな瓦礫があるのを拾い集めて一箇所に運ぶ。

それにしても余りにも若い方が一緒になって手伝って下さるので「お幾つですか」とお年を伺ったら「二十歳です大学生でツアーを申込んで来ました」と云うのを聞いて「日本も捨てたものではないなあ」と思った。お金を払ってまでボランティアをする気持ちに私は感動しました。

山の上の一軒家に伺って聞いた話では「津波はこなかったが家は半分壊れて修理したがこの先の支払いが大変だ」と嘆いていました。大きな災害で人間の絆を改めて感じた一日でした。

 K.Y 記


交流会の中でセンター長の話がありました。

津波に襲われ、何とか逃げ延びた事。自分も含め石巻の人々の多くは、すべてを失い、「もう、どうでもいい。そう思っていた」そんな中、各地から来てくれるボランティア活動を見て、「頑張ろうと思えてきた。頑張ってこられた。」と。

私達に出来る事には限りがある。大した事は出来ていないのに、なによりの言葉でした。これからも、細々と続けて行きたいと思いました。

 I.T 記


今回で松戸山の会としては今年の最終になると思います。宮城県連の秋季稙樹交流会と重なり、県連初め各地からの応援で、最終日は150人に膨れ上がり、歌とトン汁の集会になりました。

トン汁とおにぎりが美味しい
石巻トン汁隊のお姉さん達
石巻トン汁隊のお姉さん達

わが会の面々も「手をぬきなさい」と云えども、一生懸命働きさぞ疲れたと思います。かくなる私は足の具合がいまいちで、監督に回り、ハイキングもせず、先回りしてトン汁隊のお手伝いでごまかしてしまい申し訳ない次第です。

今年はこれで終わりますが、来年2月、3月の第3土、日、が決定していますので行ける方はよろしくお願いします。

 K.T 記


 石巻地区ボランティアに参加して

菅生SAを5時30分に出発し、石巻市内の被災地を見ながら牡鹿半島へ向かった。

一帯の住宅地は片付けられたのかと思うほど空き地が多かったが、それは全て流されてしまった跡なのでした。残った建物も相当あったがそれは、二階部分は雨戸も閉められ住めそうに思えるけど、一階は少しだけ壁が有るか、全く柱だけ、それも傾いて残っているだけの状態で、まるで海中のクラゲを思わせるものでした。

暫くそんな中を走っていると、あそこの家族はみんな無事なのかな、あっちの家では家族全員揃って仮設住宅に避難しているだろうかと、切ない気持ちになってきました。

十八成地区の水田です
水沼東部構造改善センターで夕食
水沼東部構造改善センターで夕食

作業地は、石巻市牡鹿町十八成(クグナリ)浜地区でした。

午前は、田んぼの中の瓦礫や漂流物の片付け、倒壊した住宅の撤去などでした。午後は、漁網の撤去でしたが、水田の中にこんもりとした丘があり、そこから引き出すのですが、引き出しても、引き出しても終わりが無く、まるでその丘全体が砂と漁網が絡まって出来ているかのようでした。

記念の鎮魂・復興祈願碑を設けました
記念の鎮魂・復興祈願碑を設けました

宿泊には、水沼東部構造改善センターを提供され、快適に休むことが出来ました。また朝夕の食事付きで、翌日の交流会では豚汁とおにぎりやサラダ・漬け物などの昼食まで接待を受け、これほどまでして貰って良いのだろうかと思えました。

現地はまだまだ復旧にはほど遠い状態でした。自分たちが手伝ってもその進捗の割合は微々たるものでしょう。しかしみんなで少しづつ協力していけば必ず大きな結果を残せると思います。これからも都合の付く限り応援に行こうと思いました。

迎えてくださった宮城県連の方や賄いなどで裏方を手伝ってくださった皆さんに感謝します。中には、家族を失った方もいましたが心中穏やかでは無いでしょう。ご冥福をお祈りします。

 T.S 記

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